2010年10月30日

「東大寺大仏―天平の至宝―」

昨日、半休を取って上野の国立博物館で開催中の「東大寺大仏―天平の至宝―」 を観てきました。

1年に1回は奈良に行く私。
それも東大寺には行く頻度が高いですね。
東京での東大寺の展示、楽しみにしていました。

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会場は平成館。
大きな展示ではお馴染みです。

平成館の入り口を入って左手にラウンジがあって、自由に休むことが出来ます。
そこに実物大の大仏さまの手の模型が置いてありました。

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人がいれば大きさが比較できて分かり易いのですけど…高さは2.6m。
いかに大仏さまが大きいか分かりますね。

会場は2階。
入口の前にグッズ売り場があります。
「出てきたら図録でも買おう」と思っていたら、「今なら図録ご購入の方に東大寺の僧侶の方からご朱印がいただけます。」との案内が。
毎日かは分かりませんが、日に2回、1時間ほどご朱印をいただける時間があるようです。
“今なら”、“季節限定”弱いんですのねw
早速購入していただきました。

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なんて書いたあるか分かりますか?
「華」です。
東大寺は華厳宗大本山にあたります。

会場は4つのテーマ+VRシアターの5つの構成になっていました。

第1章 東大寺のはじまり−前身寺院と東大寺創建

ここでは“東大寺”として歴史に上がってくる前、前身のお寺である聖武天皇と光明皇后の、1歳になる前に夭逝した皇子を弔うために営んだ山房、その山房が発展したとも言われる金鐘寺(こんしゅじ)、他にもいくつかあったお寺をまとめて大和国国分寺である金光明寺(き(こ)んこうみょうじ)、そういったお寺の遺物が展示されていました。
瓦などが多く、三彩陶器の瓦など「どんなお寺だったんだろう?」と想像を掻き立てられるものがありました。
南都七大寺(なんとしちだいじ)東大寺・西大寺・法隆寺・薬師寺・大安寺・元興寺・興福寺のなかでは新しい部類に入るのか、“興福寺式の瓦”とか他のお寺の形式の物がありました。
それが発展して、“東大寺式”と言われるものが出来たようです。

第2章 大仏造立 

天平勝宝4年(752)、大仏の開眼供養会が行われました。
インドから来た僧が開眼を司り、大仏殿の外では中国や東南アジアなどから伝わった伎楽(ぎがく)など様々な楽(がく)が催され、相当華やかであったようです。
その時に使われたと言われる伎楽面がまだ残っており、今回展示されています。
そして、先日新聞1面を飾った東大寺大仏殿(金堂)の鎮壇具。
「東大寺大仏殿(金堂)の鎮壇具の大刀が実は正倉院から持ち出されて行方が分からなかったもの」なんてニュースになりました。
今回の展示では鎮壇具がいくつか展示されています。
ニュースになったものとは別の物ですが、細工の細かい鎮壇具の大刀・水晶や琥珀などの宝石類・銀の小壺など、いかにも「お宝」といったもので、大仏に如何に願いを込めていたかが分かる気がします。

ここに今回の目玉と思われるものが多数展示されていました。

国宝 誕生釈迦仏立像及び灌仏盤、国宝 良弁僧正座像、国宝 八角燈籠、国宝 僧形八幡坐像…
因みに鎮壇具も国宝です。

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八角燈籠ですね。
改めて大きさにビックリ!

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会場はこんなかんじです。

誕生釈迦仏立像及び灌仏盤、4月のお釈迦様の誕生を祝う「花祭り」「灌仏会」で、お釈迦様の像に甘茶を掛けるのに使われます。
まず現物が展示されていて、360度ぐるりと回れるようになっています。
灌仏盤にスポットライトが何箇所か当たっていました。

先に進むとビデオがテレビで流れていて、灌仏盤の詳細な画像でした。
細かい線で、麒麟、鳥に乗って空を飛ぶ仙人、花など多数の絵が描かれているのが分かりました。
この映像を観て、灌仏盤を改めて観に戻る人の多いことw
私も映像の画像を思い出しながら、灌仏盤を探しました。

僧形八幡坐像、快慶の作で、鎌倉時代の作とは思えないほど状態が素晴らしく、彩色も艶やかに残っています。
写真を今観るとそんな感じがしないのですが…現物を観たとき、「俳優の松平健氏の頬がこけたらこんな感じ?w」と思ってしまいました。

第3章に行く前に、大仏殿のVR(バーチャルリアリティー)シアターがありました。
高さ約7メートル、幅約8.5メートルの大画面。
通常見ることができる正面からの映像、高いところから観たシーン、バーチャルならでの光背を取り除いた後姿の大仏様…なかなか面白かったです。
背中に穴があいているのは知らなかったなw

第3章 天平の至宝

ここでは天平文化から伝わる遺物が展示されています。
ここでの目玉は法華堂(三月堂)の本尊、不空羂索官能立像(ふくけんじゃくかんのんりゅうぞう)の光背。

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普段はご本尊の後ろなので良く見えない光背、8月に奈良に行ったときに(実は行ってたんですw)法華堂の係の方とお話して、「凄く綺麗なものだから楽しみにしていてください」と言われていました。
本当に綺麗。
黒ずんでいるところは出来た当初の物、金に光っているところは後補の物だそうですが、ご本尊やご本尊が被っている宝冠(世界三大宝冠の一つだそうな)も煌びやかなものなので、出来た当初は眩しい位に神々しかったのでは?

他にも織物等、正倉院にあるものと類似性のあるものが多数出ていました。

後から書きます火災とは別なのですが、お水取りで有名な二月堂が寛文7年(1667)のお水取り中に火災にあい、その時持ち出された本尊の光背、紺色の紙に銀の文字で華厳経が書かれた経文(二月堂焼経)もこちらで展示されていました。
どちらも「燃えていなければ・・・」と思わせるものです。
特に光背はひび割れ・破損がひどく、3分の2程度しかありません。
ここでふと思ったこと・・・二月堂の本尊は大小2体の十一面観音だそうで、お水取りの儀式をする僧侶も観たことが無いという秘仏です。
中世以前には今ほど絶対的な秘仏ではなかったらしいので、火災後のお姿がかわいそうで出せない、なんて裏事情があるのかな、なんて勘ぐりすぎですかね?w

第4章 重源と公慶

東大寺は何回か火災にあっています。
そのうちの特に大きく、大仏に影響があったのが2回。
1回目は治承4年(1180)、平重衡(たいらのしげひら)が放った火が東大寺、興福寺を焼き尽くしました。
その当時の朝廷には東大寺を再建する資金はなく、その復興に力を尽くしたのが重源(ちょうげん)です。
源頼朝をはじめ鎌倉幕府の武士ら有力者の支援を取り付け、全国で勧進(かんじん:寺院の建立や修繕などのために、信者や有志者に説き、その費用を奉納させること)を展開しました。

話はそれますが、歌舞伎の「勧進帳」はこの時の話で、勧進の目的について書かれた巻物形式の趣意書、勧進帳を逃亡中の義経主従が持っている訳は無く、東大寺再建のための勧進を行っていると偽っているため、関所の役人の富樫の前で別な巻物を勧進帳であるとして、朗々と読み上げ関所を通って行くという話です。

重源は3回にわたって宋に渡って学び、快慶の師匠に当たる方だそうです。
今回の展示では80歳を超えてなお眼光が鋭い姿の僧形、快慶作の地蔵菩薩、重源が持ってきたと言われる五劫思惟阿弥陀如来像(あまりにも長い時間瞑想した為、髪の毛が延びちゃった=アフロみたいwな阿弥陀様)がありました。

2回目は永禄10年(1567)。
再度兵火に罹り、体の大半が溶けてしまいました。
公慶が勧進を司り、8年の年月を掛けて復興されました。
今の大仏の顔を作ったのはこの公慶。
こちらも僧形が展示されています。
苦労を慮ってか、左目が赤く充血している像でした。

音声ガイドは俳優の國村隼氏。
春にドラマで聖武天皇を演じられたそうです。
落ち着いた声が素敵な音声ガイドでした。

思いの外空いている展示でした。
出展数も少ないので、普段はじっくり見ないものもゆっくり興味深く拝見できました。

会期は12月12日(日)まで。
2010年11月2日(火)〜21日(日)の間は一部展示が入れ換わり、正倉院宝物が展示されます。
宜しければ会場まで足を運んでみてください。

※公式HPからblog用に会場内の写真の提供があったので使ってみました。

時計6時雨台風
posted by 美々 at 10:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 観てきました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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